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2008-04-13

名古屋-「偉大なる田舎」

転勤で一年半ほど、名古屋にいた。名古屋に住むようになってまず感じたことは、「女の子が可愛い」ということだ。

もちろん「東京と比べて」という意味になるのだが、まずなによりみずみずしい。溌剌としていると言うか、生き生きとしていると言うか、ピチピチしていると言うか、とにかくそういう感じなのだ。名古屋は「三大ブスの産地」とも言われる。しかし昔はいざ知らず、今は明らかにそれは当たっていない。

名古屋に行ってみて、東京の女の子が疲れきって、ぱさぱさに乾いていると感じるようになった。着ているものや化粧の仕方などは、東京の子は名古屋に比べて洗練されてはいる。また芸能人かと思うような目を見張るような美人も東京ではしばしば目にするが、名古屋ではあまり見かけない。しかし東京には他人の目に無関心としか思えないような子も多いのであって、そんな子も名古屋にはいない。名古屋の女の子は点数としては80点の合格点を中心として分布している感じである。

しかもその女の子たちがまた、愛想がいいのである。道を歩いていても、すれ違う女の子と目が合う。もちろん挨拶こそされないが、この子たちは自分に気があるのではないかと、名古屋に行った当初はかなり勘違いしたくらいだ。また居酒屋などでバイトしている女の子達は例外なく、こちらが発するおじさんのアホなトークに、嫌な顔一つせず付き合ってくれる。東京では「おやじ、うざい」と思われて終わるのは確実だ。

これはまあ、名古屋が田舎だということなのかも知れない。東京の子というものは、おそらくかなりの割合で、地方出身者である。地方から東京に来て、家族と離れて一人で苦労しながら生活している。想像するに地方から東京に来るような子は、地方に置いておくにはあまりにもったいない、ずば抜けた美人か、または地方では誰にも相手にされなかったか、そのどちらかなのではないだろうか。

それに対して田舎では、家族に大切に育てられたお嬢さんが、学生時代は都会で過ごすことがあったとしても、地元で就職し、結婚し、また新たに家庭を築いていく・・・、そんなサイクルがあるに違いない。名古屋の子のみずみずしさというのはおそらく、家庭や地域で人に囲まれながら大事に育てられてきたことの反映であるという気がする。実際名古屋の人が家族を大切にし、特に子ども達の結婚に際しては使うお金を惜しまないというのは有名な話だ。

名古屋の人は、自分の子供に限らず、人を大事にすると思う。人との出会いを尊び、出会った人との関係を後々まで継続する。名古屋ではよそ者がビジネスに参入するのがとても難しいとは、よく言われることだ。地縁、血縁、その他の様々な人のつながりの中で物事が決まっていくので、そこに入り込むのは至難の業だという。しかし一旦入り込んでしまえば、逆にこれほど心地よい世界はない。

ちょうど名古屋の市営地下鉄工事での談合問題が世を賑わせている頃、飲み屋で20歳そこそこのバーテンの男の子とそのことについての話しになった。談合が悪であるということは一般の常識であろうが、名古屋人であるそのバーテンは、必ずしもそうではない、とはっきり主張した。それよりただ安いだけで、粗悪品を作ってしまうことのほうが、よっぽど良くない、というのである。東京でそのような主張をする若いバーテンが、一人でもいるだろうか。談合というのは人のつながりの中で物事を決めていくということについての、一つのあり方だ。それは名古屋の風土に深く根ざしたものだとも思えるのである。

このように名古屋というのは、日本の代表的な、伝統的な、田舎のあり方を体現した場所であるとも言えると思うのだが、それでは名古屋が実際に田舎であるかと言えば、必ずしもそうではない。名古屋市の人口は、大阪市とそう変わらない。日本三大都市の一つであり、街の規模としては明らかに都会なのだ。しかしにもかかわらず、そこで暮らす人々の考え方の根底に、「田舎的なもの」が脈々と流れている。名古屋は「偉大なる田舎」と呼ばれるそうだが、たぶん名古屋はただ田舎なのではなく、都会になってしまうことを拒否し、田舎であり続けようとする強力な意思の働く場所なのだと思うのである。

ここ数年で名古屋駅の上のツインタワーや、駅前のミッドランド・スクエア(トヨタビル)、そのほかにも名古屋駅周辺ににょきにょきと、高層ビルが建てられるようになった。しかし東京では高層ビルは、40年ほど前に建てられ始めた。大阪でも同様だろう。それがこれまで名古屋には、一つの高層ビルもなかったのである。別に名古屋で高層ビルが建てられなかったのではないだろう。建てなかったのである。

名古屋駅近くの床屋に行った時、ミッドランドスクエアが出来て、そこに2000人のトヨタの社員が来てしまうと、電車が混まないかと心配していた。普通ならそんな心配をするより先に、自分の商売が繁盛することへの期待が、あるものなのではないだろうか。名古屋の人は、自分がいかに儲けられるかということより先に、いかに自分の生活が快適であるかを問うのだと思う。

実際名古屋の街は全体として広々として、ごちゃごちゃした場所がほとんどなく、電車も混まず、生活は本当に快適である。必要なものは全てあり、余分なものは一つもない。しかしこれは何も考えずに成り行き任せでそうなるものではないだろう。放っておけば街というものは、看板や、小さな店や、そういうものでいくらでもごちゃごちゃしていくものだろう。しかし名古屋では、明らかに、そうならないようにしているのである。過度の都市化を抑えようと、日々努力しているはずだと思うのである。

そのような、人とのつながりを大事にし、人が快適に生活できるということを大事にし、それを脅かすものを排除し、という名古屋の基本的な考え方は、おそらくどこにでもあるものではないだろう。ならばそれはどうして今、それが名古屋に存在するものなのか。

おそらくこのような考え方は、近代化以前の日本が、もともとは普遍的に持っていた考え方なのではないだろうか。実際『逝きし世の面影』 を読むと、近代化以前の日本を見て、近代化された外国人たちが抱いた新鮮な感動は、ぼくが名古屋で感じたことと、驚くほど共通する。

日本では近代化は明治維新によって導入されたが、近代化以前の日本というものは、徳川家康、豊臣秀吉、織田信長といった人たちによって礎を築かれ、形作られていった。彼らは皆、三河、尾張の名古屋人たちである。つまり近代化以前の日本は、都は京都に、城は大阪や江戸にあったにしても、社会を形づくる基本的な考え方、その中心地は名古屋だったのである。

明治維新によって近代化が導入された時、それを主導したのは長州や、薩摩や、そういう所の人たちであり、名古屋の人はどちらかと言えば旧守派としてワリを食った形になっただろう。しかし名古屋の人たちだけは、その後も近代以前の日本の考え方を大事に温め、方や推し進められる近代というものの考え方とそれとをどう調和できるのかを、問い続けてきたのだと思う。

その一つの代表的な例が、トヨタ自動車なのだではないだろうか。トヨタ自動車はもちろん近代的な企業であるが、もう一方で名古屋的な考え方を営々と持ち続けている。あれだけの大企業であるのに、「人をクビにしない」と公言し、第一に人を大切にすることを標榜する。それが仮に単なる建前であったとしても、すごいことである。

トヨタの改善方式などいうが、実態は方式というより、むしろ運動である。生産ラインの作業員は、もしラインで問題が起きたら、誰でもラインを止めて良い、という権利を持っている。そしてラインを止めた後どうするかというと、ラインの担当者同士で徹底的に話し合い、そこで問題を解決していくのだと言う。

近代の考え方は生産ラインの作業員に対して、工場という大きな機械を構成する一つの部品として機能することを求める。もちろんトヨタの作業員も当然、部品となるわけだが、それを実現する道筋が、他とは全く違うのである。普通の近代企業は、作業員に対する指令はトップダウンでやってくる。しかしトヨタでは違う。トヨタでは作業の内容についての一定の局面については、トップダウンによってではなく、作業員自身が相談しながら見つけていくように設定されているのである。