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2009-10-01

小林秀雄全作品18 「表現について」

小林秀雄という人の、何を面白いと思うかと言うと、人間はよく、自分が言ってることとやってることが食い違ってしまうということが、起こりがちなわけだけど、小林秀雄は「批評家は自分自身を最も厳しく批評することが、いちばん肝心だ」みたいなことを言って、ただ職業として批評家をやっているということに留まらず、生き方なのだな、批評というものが。人間は霞を食って生きていくわけにはいかないから、当然厳しい現実との格闘が、小林秀雄の場合にもあるのだが、それが書いたものと矛盾せず、美しく一貫しているということが、読みながらひしひしと感じられる。もっと言えば、小林秀雄は、表面的な知識ではなく、自分の生き方というところからのみ、物を言うのだ。だから読者も、人間の生き方、いやいやそれに留まらず、自分の生き方というものについて、深く考えざるを得ないということになる。これが最大の魅力なのだな。

でもそのことは、何も小林秀雄が、抽象的な、よくオヤジが飲みながらブツような、人生論を語るということでは全くなく、物を言う対象はあくまで、具体的な作品だったり、作家だったり、思想だったり、知識だったり、するわけだ。小林秀雄はほんとに勉強家だった、というか、新しい未知のものに出会い、それとガチンコで対峙しながら、自分のものにしていくということの楽しさを、ほんとによく知っている人だったのだな。そういう色んなものを、自分の生き方、生きるあり方に照らし合わせながら、自分のものにしていくなかで、色んなことを見つけていくのだと思うが、その観点が、小林秀雄が小さい頃から音楽に親しみ、音楽を愛していたということと関係があるかと思うのだが、ただその論理的な側面にのみ捉われるのではなく、物事や作品の、論理にならぬ側面、メロディーやリズムや、それは文で書かれたものなら文体や、演劇なら劇場全体の、舞台と観客が相互にやり取りしながら、全体としてかもし出される雰囲気や、といったようなことになるのだが、そういうものを決して見逃すことがなく、そういうものに喚起される感情や、また内容というものについて、深く感じ、そこから何らかの意味を見出していこうとすること、そういうところにあるのだな。これは形としてなかなか捉えられにくいものだし、また現代、それはあなたの主観でしょ、と言って、切り捨てられがちなところであるだけに、そこからこれまで自分ではあまり気づかなかった、新しく見えることが飛び出してきて、新鮮で、刺激的なのだ。

この全作品18は、これまでの沈黙を破って、とも言いたくなるような感じで、小林秀雄は再び、一般の人に向け、積極的に書き始めている。戦争によって受けた痛手も、少しは癒えたということもあるのだろうな。題名も、「年齢」「好色文学」「金閣焼亡」「偶像崇拝」などなど、金閣寺が放火されて燃えてしまった、というタイムリーな事件も取り入れたりして、一般の人に興味が持ちやすい仕立てにしていたりする。頑張ってほしい。