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2010-03-17

中村桂子 「ゲノムが語る生命 - 新しい知の創出」

中村桂子さんというのは有名な生物学者で、よく新聞に寄稿などもしているから、とくべつ生物学に興味があるという人でなくても、知っている人は多いと思う。もともと普通に、科学者として、生物学に取り組んでいたのだと思うのだが、あるところから、それに疑問を感じだしたのだな。生物学とは本来、「生きているとはどういうことか」を明らかにすることが目標であるはずなのが、
生命科学はDNAを遺伝子とする、最も小さな単位にまで還元して考え、遺伝子のはたらきを基礎に生物の構造と機能を知れば、生きもののことは理解できると考えています。そうではないでしょう。生きものは全体として生きているのであり、「生きているってどういうこと」という素朴な問いに答えるには、もっと全体的な捉え方をしなければなりません。確かに、哲学や文学で、「生きていること」を考えるときには全体として捉えていますが、科学を踏まえたうえで生きていることを全体として考えたい。それが生命誌の始まりでした。
ということで、科学を踏まえながらも、そこから一歩踏み出し、科学というものの枠にとらわれずに、「生きているとはなにか」を考え始めるのだ。この本には、そこから始まり、今に至る、中村桂子さんの冒険が分かりやすくまとめられていて、とても読み応えがある。
科学的に検証可能な、生物のからだの中にある物質のうち、生きものの全体を表わすことができるもの、それは「ゲノム」である。DNAという物質は、二重のらせん構造になっていて、それが人間だったら、2本が一対になったものが46組、からだの中のすべての細胞の中に入っているのだが、その46組のDNAの中のあちらこちらには、「遺伝子」と呼ばれる、からだの部分部分の特徴を決める領域があり、科学ではその遺伝子ばかりを、個別に研究しているけれど、生きているということを知ろうと思ったら、DNAの全体、ゲノムを見て、個別の遺伝子の働きも、ゲノム全体の中での関連として考えていかなければいけない。
そのことを中村桂子さんはもう、20年以上も前に提唱し、実践してきたのだが、果たして世の中は桂子さんの言うとおりの方向に動き、アメリカで癌を制圧しようというプロジェクトが始まったことに伴い、人間のすべてのDNAを解読しようという、「ヒトゲノムプロジェクト」が発足、日本を含め世界中の研究者を巻き込んで、2003年にめでたく解読は終了した。
ところが、ヒトゲノムを解読してみて、それでは生物学者が生きものの全体に目を向けるようになったのかと言えば、全くそうではないと、中村桂子さんは言う。生物学を国際間の巨大プロジェクトによって行い、それが成功したということに味をしめ、その後ますます、生物研究は巨大プロジェクト化するようになり、そこに「病気の治療」や「新たな医薬品の開発」という目的が結びつき、国家や産業界から莫大な予算が注ぎ込まれ、生物学者はもはや、医学的な応用にばかり目が向いて、「生きているとはなにか」などということは、消し飛んでしまっているように見えるということなのだ。
中村桂子さんはこの状況に強い危機感をおぼえ、このまま進んでしまっては、「なんだか破滅への道のような気がし」て、「まだ明確には見えていない」けれども、生きているとはなにかということを中心に据えた、「新たな知」が生み出されなければならないと考え、そのきっかけとなるためにこの本を書き、桂子さん自身がどのように考えようとしているかを、あの手この手で、なんとか伝えようとしている。はっきりしないことを伝えようとするから、一貫した論理的な説明などではなく、様々な人の言葉にヒントを得、文学的なイメージや、たとえなどもたくさん出てくるのだが、これがものすごく面白い。僕は読みながら、何カ所かで、思わず体が熱くなるくらい興奮した。
あとは本当は、この本を直接読んでもらうのが良いのだが、でもそれだけというのも何だから、僕なりに少し書いておくことにすると、まず「生きている」ということは、本来複雑なものであって、それを外側から見て、客観的に判断し、その背後にある単純な論理なり、法則なりを探そうとするのではなく、その矛盾をはらんだ複雑さにまっすぐ向き合い、受け止めなければならない。そこからしか始まらないと、中村桂子さんはいう。そしてその、生きもののもつ複雑さを「愛づる」こと、すなわち、生きものが時間の中で、変化し、発展するさまを、相手と自分を区別するのではなく、「共にあるという感覚」をもちながら愛すること。さらにはその中で得られることを、「物語る」こと。
これらのことは、すでに、これまで言われてきた意味での科学ではない。しかし、科学を無視するのではない。科学をきちんと踏まえながらも、それにとらわれることなく、生きるとはなにかに言葉をあたえることができる、「新たな知」を、共に見つけていこうじゃないかと、中村桂子さんは読者に向かって呼びかけている。しかしたしかに、僕らはみんな生きているのであり、専門家であるとないとに関わらず、そのことに無関係な人間など、この世に一人もいやしないのだ。
★★★★★
ゲノムが語る生命―新しい知の創出 (集英社新書)