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2010-04-21

マイケル・ポランニー 「暗黙知の次元」(8)


ポランニーが、おそらく何度も、自身で体験しただろう「科学的な発見」というものは、何も科学に特有なものではない。



それは僕が勝手に言っているのではなく、ポランニー自身がそう書いている。人間のあらゆる認識や、芸術における創造活動、医者の診断、技術の習得、言語の習得、そういったものは根本においては、皆同じものなのだ。当然ラーメンを味わうということも同じだし、料理を作るということも同じだ。

ポランニーはこの本の中で、一つ一つの実例が同じものであることを、順に論証していくように書いているが、それはそういう形をとらないと、学問として成り立たない、読む人を説得できないと考えているからであって、いや実際そのとおりだと思うが、ポランニー自身がこの「暗黙知」についての着想を得るのに、そのような順を経ていったということでは、僕はたぶん、全くないと思う。ポランニーにとっては初めから、この本の最後で書かれる結論までが、一つの壮大なイメージとして見えていたのだ。ポランニーはそのイメージについて、この本の何カ所かで語るとき、いかにもわくわくした、嬉しそうな書きっぷりになる。いかにも気持ちを抑えられないという感じなのだ。

料理のことで言うと、何か大事なものを買い忘れた、というようなとき、僕はポランニーの言う「暗黙の力」を、とてもよく感じるのだ。先日も青ネギを買い忘れて、豆腐は買ってあって冷奴にするつもりでいたから、冷奴に青ネギがないというのは、普段なら僕にとっては全く考えられないことなわけだが、そこで再びスーパーへ引き返して、青ネギを買うというような、短絡的な行動はとらずに、冷蔵庫の中を見まわしたりしてみると、梅干しがあって、かつお節があって、普段はおたがい何の連絡もない両者が突然むすびついて、梅かつおというものになり、それはたしかに、冷奴に乗っけてみると、なかなか良かったりするわけだ。

冷奴の薬味にする何かをさがして冷蔵庫を見まわして、梅干を見、かつお節を見、している段階では、まだ発見は生まれていない。意識的にそれらを結びつけようともしていない。しかしそれらは、冷奴の薬味を志向する僕の意識にひきずられ、無意識のなかで、暗黙の力によって、統合され、梅かつおというそれまで冷奴にのせるとは考えてもみなかった、新たな形をとって、僕の意識に姿をあらわすのである。

(つづく)