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2010-10-01

朝めし、続タバコ

昨日の鶏の水炊きの汁で、今朝もうどん。
まあたしかにうまいわ、これは。
だし昆布をずっと入れっぱなしにして、鍋をしているのだが、昆布の味、豚肉の時は、とりたてて気にならなかったのだが、鶏肉だと、ちょっと気になるな。
ていうかもしかしたら、鶏肉の時は、だし昆布は入れなくてもいいのかもな。

タバコのこと、昨日の朝書いたらコメントをもらって、タバコを吸わない人が、タバコの煙を吸う、受動喫煙の害というものが、じつは大きいのであって、それについても考えてもらいたいということだった。
それについては、僕はもっともな話であって、世の中にはタバコを吸いたくない人も多いわけだから、その人たちが間違ってタバコの煙を吸ってしまうことがないように、タバコを吸う場所と、吸わない場所とをキチンと分けて、お互いが共存共栄しましょうと、それについてはまったく賛成で、僕もおとなしく、タバコを吸っていい場所だけで吸うと、いうように努力している。

しかしタバコを取り巻く現在の状況は、そんなことには留まらないのであって、タバコというのは今の世の中では、ほとんど憎まれているのだな。
まるで諸悪の根源がタバコであると、そういう勢いなのじゃないかと思う。
それが行き着くところへ来たと思ったのが、タバコを吸うというのは、依存症という病気であって、その治療には、健康保険が使えるということになったとき。
僕はこれには、タバコを吸う人を抹殺したいという、巨大な意志を感じたな。
病気であるということにするということは、もはやタバコを吸う人というのは、治療の対象であり、根絶されるべき存在に分類されたということだ。

背景には、病気というものは、徹底的に治療されるべきであると、そういう考え方がある。
これは「近代」というものの考え方、そのものだよな。
科学が進歩し、抗生物質が発見され、それが大きな効果を上げ、天然痘の撲滅に成功し、などということがあったから、病気というものは根絶できるものだ、という思想が生まれた。
しかしそれが、ほんとに正しいのかどうか、多剤耐性菌の問題などを見ると、病原菌を根絶しようとするのではなく、もう少し共存共栄をはかると、ほんとはそういう考え方のほうが、自然に適っているのではないかと、思われるというのが、現在の状況であるとも言えるのじゃないかと思う。
タバコを根絶やしにすることによって、何かの不都合が、また別のところに出てくるというのは、間違いないところなのであって、そしたらまた、そうして新たに起こった問題の対処をしなければいけないという、モグラ叩きの状況だけがあるに決まっているのだ。

まあそれが、今の時代なんだといえば、その通りであって、僕がこうやって、つまらないことをブログに書いたからといって、物事が変わるわけでは全くないのだが、しかし実は、そういう考え方そのものが、今の時代の、たくさんの不都合を生み出しているのではないかと、僕は思う。
その考え方を変えない限り、人類はどんどん、危うい方向へ進むのじゃないかと思うのだがな。