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2010-10-05

いつもこのブログでは、食っためしのこととか、読んだ本のこととか、時事のこととか、生活の上でそれなりに必然性のあることを題材にして書いているわけだが、まあそうでなくても、自分で自分に、勝手な題をだして、それについて考え、書いてみるのも悪くないかもしれないなと思い、頭に浮かんだのが「酒」だったので、それについて書き始めているわけだ。

僕が酒を飲み始めたのは、中学3年の卒業式の日からで、家庭の事情で一人暮らしをしている友達の家に、仲間数人で集まり、酒盛りをしたのだ。
その時代は、高校へ行ったらコンパで酒を飲むというのが、わりと普通だったので、中学を卒業して、いよいよ酒飲みの仲間入りということで、やったのだったと思うが、飲み方も知らぬ酒をガブガブ飲んで、あれは急性アルコール中毒だったのだろう、意識をなくし、気がついたら自宅の部屋で寝ていた。
僕が意識をなくしたというので、友人たちが慌てて、親を呼んだのだ。
枕元には洗面器があって、けっこうゲボもしていたみたいだから、一歩間違えたら死ぬところだったのだろうが、うちの親も酒飲みだからか、それでとくべつ咎め立てされるということもなく、高校に入るとそれこそ毎週のように、友人たちと、新宿のパブで酒をのむという生活が、当たり前のように始まった。

大学に入っても、サークルやら何やらで、酒を飲む機会は多く、さらに僕は、大学へ行きながら、あるミニカレッジへ参加して、そこの学長がとんでもない飲み助だったもので、それからはよっぽど何かがない限り、基本的に毎日酒を飲むという生活が始まり、今に至っているというわけだ。
だから30年近く、ほぼ毎日酒を飲むという生活が続いていることにある。

酒というのは飲まない人にとっては、何のために飲む必要があるのか、解らないようなものかもしれないし、実際このごろは、若い人は飲まない人が増えているのじゃないかと思うが、以前、少なくともネットというものが登場する前までは、酒を飲むということは、かなり重要なコミュニケーションの手段であったのだと思う。

「飲む席では無礼講で」と、よく言われることがある通り、といっても、よっぽど場合をわきまえないと、無礼講と言われたからといって、ほんとに無礼講になってしまうと、あとで深刻な人間関係の亀裂を生む場合も多いわけだが、まあそれでも基本的には、酒を飲むということは、実際にアルコールを飲むということによる気分の変化の上でも、また酒を飲む席である、という、ある儀式的な意味合いにおいても、日常の関係性をとりあえずは忘れ、お互いが自分の思うことを、かなりの程度語り合うことができるということになっていて、それによって職場や、取引先の人などと、普段はなかなか結べない関係を築くことができるということは、たしかにあるのだと思う。
僕は今でも、だれかとほんとに仲良くなろうと思ったら、やはり酒を飲むということを抜きには、ちょっと考えづらい。

この文章、どこへ行こうとしているのか、実は自分でも解っていないのだ。
酒は自分にとって、これだけ身近なことだから、何か書く事があるだろうと思って、書き進んでいるわけだ。

酒がコミュニケーションの手段であるとしたら、それでは一人の時には、飲まなくても良さそうなものだ。
たしかにその通りで、一人でいるときに酒を飲むということについて、何の必要性があるのかと言われるとよく解らず、べつに飲まないと眠れないというわけでもないから、そのまま寝てしまっても良さそうなものではあるのだが、やはり飲む。
それはやはり、僕は酒を飲んでいるときの、自分の気分が好きなのだな。

僕はいま、ひとりで色々やっているから、とくべつ晴らすべき憂さがあるわけでもないのだが、それでもそれなりに、いろいろ考え、行動しているわけだ。
それをとりあえず、すべて忘れて過ごすことのできる、一日のうちの数時間というものが、僕が好きだということなのだな、要は。
それがなかったら、何かに支障をきたす、というわけでもないかもしれないのだが、それが好きだから飲むという、それだけのこった。
なんだ、そうなのか、簡単なことだったな。

酒を飲んで記憶をなくすということは、時々あって、冷や酒をガバガバと飲んでしまう時に多いのだが、2時間くらいまったく覚えていないということになる。
そのあいだ自分が何をしているかについては、もちろん自分では解らないわけだが、あとで人に聞くと、それほど悪いことはしておらず、ひとりで延々と喋っていたり、僕はすこし楽器を弾くのだが、ギターやピアノを弾いて、延々と歌い続けていたり、ということをしているらしい。

いちど公務員住宅に住んでいる友人宅で飲んだことがあって、公務員住宅は団地みたいなものだから、上下左右に音はまる聞こえなわけだが、記憶をなくした僕は、延々と2時間くらい、しかも夜もけっこう遅い時間に、ずっとギターを弾いて、ビートルズを歌っていたのだそうだ。
あとでその友人に、近所の人は大丈夫だったのかと聞いたら、下の階の人、私たちも一緒に歌ってましたと笑っていたとのこと。
酔っ払いはこういう親切な人に助けられ、社会を生き延びているわけだ。

記憶をなくすと、女性を口説き始めるというクセもある。
前妻と付き合いだしたのも、飲み会で記憶をなくした僕が、口説いたことがきっかけで、けっきょく結婚までしてしまったわけだが、そのとき僕が何と言ったのかは、いまだに僕は知らない。

道路で寝るということも、しょっちゅうだった。
いや日本が安全な国で、ほんとに良かった。