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2010-10-31

進化

ラーメンは戦前から戦後、おもに屋台を引いて商売するというところから始まったわけだが、当時の飲食店の状況というものを考えてみるに、麺類という同業種に限っていえば、そば屋、うどん屋というものが全盛だったろう。今でこそ、麺類の主流はラーメン屋ということになってしまっていて、うどん、そばというのは、どちらかと言えばレトロな、通好みの食べるものということになっているが、当時、安くてサクっと食べられる麺類といえば、うどん屋やそば屋だったはずだ。

そういうところでラーメンは、「うどんでもそばでもない麺類」という、隙間を狙ったものとしてスタートした。老舗のラーメン屋というものが、多くは、何年ものあいだ屋台で営業していたことを考えると、ラーメンは初めから、人々に受け入れられ、人気を博したというものではなく、むしろうどん好き、そば好きの主流派からは、「あんな変わったもの食べやがって」というような、軽蔑の目で見られるようなものであったと考えても、それほど外れていないのじゃないかという気がする。

そういうところからラーメンが、今やそばやうどんを上回る地位を獲得しているというのは、もちろん先人たちの、大変な苦労や努力のたまものであるということは言うまでもないのだが、それだけの理由ではなく、ラーメンが「反主流」であったという、そのこと自体にも、大きな秘密が隠されているのではないかと僕は思うのだ。

「安くてサクっと食べられる麺類」という需要は、うどんやそばによって満たされていたわけなのだが、逆に言えば、それはうどんやそばに対する人々の期待というものが、はっきりとした形で存在し、それを外れることは許されない、ということも意味しただろう。それに対してラーメンというものは、いちおう「中華風の」という縛りはあったにせよ、それはそれほど強いものではなく、実際北海道や九州では、中華風とはほとんど言えないようなラーメンが発展しているわけで、「縛りがゆるくて、自由度が高い」という状態であったに違いない。それはすなわち、可能性の大きさというものであるわけで、その新天地こそが、既存の、すでに完成した体系をもっていたうどんやそばを駆逐し、それらを周辺に追いやり、新たな主流となっていくための原動力であったのではないかと思うのだ。

100万年ほど前に現れた「ヒト」は、ことばを話すようになったということで、大きく発展し、今や地球上の生き物のなかで、食物連鎖の最上位に位置し、主流派というべき地位を獲得するに至っている。人間がことばを、どのようにして話すようになったのかということについては、はっきりしないことが多く、様々な説が唱えられているという状況であると思うが、ヒトの誕生について、僕がいちばん不思議に思うことは、なぜヒトには、からだに毛が生えていないのか、ということだ。

今の人間は、服を作り、着るようになっているから、べつにからだに毛が生えている必要はなくなっているのだが、はるか昔に思いを馳せれば、初めから服を着るなどということができた筈はないわけで、体毛が生き物が進化のなかで獲得した、体温調節のための重要な機能であったと考えれば、それをある時、ヒトが失ってしまったということは、生存のためにはどんでもなく不利であったということだったろう。ほとんど奇形であるとも言えることなのじゃないか。

今一般的には、なぜ毛が生えていないのかということについて、人間はことばを発達させ、その延長に服も作れるようになり、毛を生やしている必要がなくなったから、毛が生えなくなったと説明されているのじゃないかと思うが、むしろ逆で、毛を生やせないという、生存のために圧倒的に不利な状況に追いやられてしまったからこそ、同時に獲得したことばというものをもって、ヒトは新たに生き延びる方策を立てなければいけないことになったと、そういうことじゃないかと思うのだ。だからもしヒトに毛が生えていたら、どんなにことばを話す可能性を持っていたとしても、その可能性を活かすことはなかったのではないかと思う、今日このごろなのです。