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2010-10-06

韓国

韓国はこれまで10回くらい行って、ホームステイも何度かしたことがあるのだが、大学生で、初めて韓国へホームステイに行ったときは、どうしても馴染めなくて、終いにはストレスから、腹を下して散々だった。
韓国は隣の国で、日本と同様、もともと中国を中心とした文化圏にあり、人の顔も服装も文化も、日本とかなり似ているわけだが、似ているのかなと思って接すると、じつは全てが違うと言ってもいいくらい、違うというところがあると思うのだよな。
街並みや、人の服装や、いろいろな習慣や、礼儀作法や。
ぱっと見ると似ているのだけれど、よく見ると全然違う。

僕が一番ダメだったのが、食事の時、たとえば煮魚があったとすると、それがお膳の真ん中に置いてあって、それを家族みんなが、直箸や、直スプーンでつつくわけだ。
これが僕には、ほとんどあり得ないとしか感じられなかった。
またそのお膳というのが、リビングルームの片隅に、食事の時だけ、出すようになっている、日本でいうとちゃぶ台みたいなもので、韓国の床はオンドルだから硬くて、そこに座布団も出さずにみんなが座る。
リビングには、大きなソファーが置いてあったりするのだが、食事はその脇に置いた、小さなちゃぶ台で食べるのだ。
食事はその家では、お母さんが作っていたが、お母さんはみんなと一緒に食事をせず、給仕に専念していて、みんなが食べ終わったあと、残ったものを一人で食べる。
さらにお母さん、食べるとき、立て膝をして座り、肘をついて食べるのだよな。

そして食事の内容も、すべてが辛い。
そして、日本の食事には、日本で食べる韓国料理からすらも、ぜったいにしないような風味、これはあとで考えてみたらニンニクだったわけだが、がする。
お母さんが一度、気をつかって、辛くない味噌汁を作ってくれたことがあるのだが、これがまた、韓国では味噌汁を作るとき、いちばん最初に味噌を入れるのだよな、だから味噌の風味がまったく飛んでしまって、日本人の感覚からすると、とても食べられたものではなかった。
ホームステイさせてもらった家の人達には、ほんとに申し訳なかったのだけれど、僕はそのまま最後まで馴染むことができずに、日本に帰ってきてしまったのだ。

しかしそれも、最初に行った時だけの話で、次に行ったときは、なぜかすんなり入ることが出来て、そうすると、それまでは日本と違うと思って、受け入れることのできなかったひとつひとつのことが、愛おしいものに変わるのだな。
そうなると今度はハマってしまって、韓国へ行くと何を食べてもおいしいし、日本に帰ってきても、韓国で食べた韓国料理と同じ味がする店を探し回ったりするわけだ。
日本に帰ってから数日は、舌が韓国料理に馴染んでしまっているから、逆に日本の料理が、塩っぱいだけで、何の味もしないように感じてしまうのだな。
たぶん韓国と日本とが、料理の味の構成というものについて、対極とも言えるくらいに違っているのじゃないかと思う。
アメリカやヨーロッパ、それから、僕は中国本土へは行ったことがないのだが、台湾へ行ったときにも、韓国へ行った時のようなカルチャーショックを受けることはなかった。
たぶん世界中で、韓国というのは、日本にとって、ただひとつのほんとに特別な国である、と言ってもいいのじゃないかとすら思うのだよな。

韓国と日本というのは隣の国で、歴史的にも古くから交流があり、弥生人というのは、朝鮮からの渡来人じゃないかと言われているわけだし、じっさい京都や奈良の古い仏像というのは、朝鮮の仏像にそっくりだったりする。
朝鮮から渡ってきた仏師が、日本で仏像を作った、ということなのだよな、たぶん。
それからも日本と朝鮮とは、ずっと行き来があり、友好的なこともあれば、日本が朝鮮半島に対して侵略を仕掛けたことも何度もあるわけで、じっさい数十年にわたって、日本は韓国を植民地にしたりもしてきたわけだ。
そういう愛憎入り混じった関係が、日本と韓国のあいだにはあるのであって、だから、よく双子の子供が、べつに住んでいると、それぞれそっくりに育っていくのに、いっしょの家で育つと、たがいに意識して、けっこうな違いが出てくる、というような話があるけれども、それと同じようなところがあって、日本も韓国も、文化的な意味では、お母さんは中国なわけだけれど、関係が深かったから、違おうとする力が、千年以上にわたって働き続けてきた、ということがあるのじゃないかという気がする。
それが、一見そっくり、でもよく見るとぜんぜん違う、という文化を、生み出してきたのじゃないのかな。

韓国の料理についても、僕は以前、韓国人に教えてもらったりして、いろいろ作ったりした時期があるのだけれど、これがけっこう違うのだよな。
味付けに関していえば、ひとことで言えば、唐辛子とニンニク、それにゴマ油を、大量に使うわけだ。
僕がホームステイした家のオモニが、サンゲタンを作ってくれたのだが、4人前のサンゲタンを作るのに、みじん切りにしたニンニク、テニスボール一個分はあるのじゃないかと思えるくらいの分量を入れていた。
日本人はふつう、これだけの量のニンニクを受け入れることはできないから、日本にあるどんな韓国料理屋も、使っているニンニクの量が少なくて、韓国と同じ味はぜったいしないのだよな。
韓国と同じ味は、日本に住んでる韓国人に、個人的に作ってもらったりしないと、日本では味わえないのだ。

なぜ韓国で、唐辛子とニンニク、ゴマ油を、これだけ大量に使うのか、ということについて、思うところがあって、料理法というものを考える上で、材料が持っている「アク」とか「エグ味」とかに、どう対処するかというのは、大きな問題なのだと思うのだよな。
日本では、それらは下処理をしたり、またじっさい煮ているときに、アクを取ったりして、徹底的に取り除くというやり方をするわけだが、逆に韓国では、目には目をじゃないが、材料のアクに匹敵するような、味の強い調味料を使うことによって、アクを中和してしまうという作戦に出ているのじゃないかと思うのだ。
それが唐辛子であり、ニンニクであり、ゴマ油なのだと思うのだよな。

韓国も日本も、中国料理の調味料の体系を、当然受け継いで、自国の料理を発展させているのだと思うのだけれど、その調味料のうち、唐辛子とニンニクとゴマ油を増幅すると、韓国料理の調味料になって、逆にそれを、ほとんどなくしてしまうと、日本料理の調味料になると、そういうことなのじゃないかと思ったりする。
アクへの対処法ということにかんして、韓国と日本は対極なのだな。

じっさい韓国へ行くと、道端などでしょっちゅう、これはケンカしているのか、というような光景を見かけるわけだが、韓国の人にとっては、それはケンカでも何でもなく、ただのふつうの会話だったりしている。
お互いが徹底的に主張するということが、理解への道であるということなのだよな。
日本とはずいぶん違うなと思うのと同時に、そういう文化に、ちょっと憧れるところもある、僕は。