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2011-02-19

豚肉のうどんすき

池波正太郎の「そうざい料理帖」。もともと人の影響をうけやすい僕ではあるのだが、それが今回、この本から、食生活が一変するほどの影響をうけたというのは、なにもこの本で池波が紹介する料理が、絵に描いたようなミニマル料理で、まったく手をかけないにもかかわらず不思議なほどうまいとか、材料の選び方や調理の仕方に、いかにも東京の下町っ子らしい風情を感じるとか、それだけのことではないように思う。

池波がこの本で紹介しているすべての食べ物は、池波が子供のころに、なけなしの小遣いを払って食べたり、若いころお世話になった人に、家でごちそうになったり、そしてそれらを、くりかえし自分でつくり、食べつづけてきたという、池波の思い出や愛着が、濃密に込められたものばかりだからなのだ。

時代劇作家の熟練の筆で、それらの逸話が紹介されると、食べ物はただ単に食べ物であることをやめ、会ったこともない三井老人の顔や、終戦直後に池波青年が、焼け残りのビルの一室で毎日のように小鍋だてをする光景とともに、僕のなかで息づきはじめる。それが僕をして、みずから再現してみずにはおれない気持ちにさせるということなのだと思う。

「豚肉のうどんすき」も、池波が恩師の家に遊びにいったときごちそうになったもので、池波自身もそれからちょくちょく、自分でつくって食べている。

つかうのは豚の細切れ肉。「そうざい料理帖」には、細切れ肉や、刺身の残りの白身魚、折り詰めにはいっていた鯛の塩焼きなどというものが、しばしば登場する。こういう半端ものや残りものを活かして、それをごちそうに仕立て上げるという精神も、僕は好きなところなのだよな。

タレは昆布だし4に、しょうゆ1、みりん1ということだから、器にしょうゆとみりんを入れておいたところに、だし昆布をいれた鍋の水が沸いたら、それをよそって注ぐようにする。もちろんこのとき、分量をけっして計ったりせず、あくまで直感を信じて目分量でやることが、料理を楽しむという上では大事なことだ。

昆布をとりだして、日本酒をたっぷりと注ぎ、豚肉を煮る。

肉や魚を煮炊きするときに、日本酒をたっぷりいれると、臭みがとれ、コクが増していいのだが、スーパーなどで安く売っている、塩のはいった料理酒をつかうと、塩辛くなって味の加減が狂うから、これはたしょう高くても、塩のはいっていない、料理用の清酒か、または安い日本酒をつかうようにしたい。

調味料は総じて、きちんとしたものをつかったほうが、つくったものはおいしくなる。たしょう高いといったって、一回分になおせば、調味料の値段など知れているわけだから、これをケチる必要はないのである。

豚肉が煮えたら、冷凍のうどんをいれ、それがほぐれたら出来上がり。

料理のお供は発泡酒。

これは安く、あまりにも簡単にできるにもかかわらず、死ぬかと思うくらいうまい。こういうものを食べるということを、贅沢というのだ。

タレのみりんは煮切らずにつかうため、すこしアルコールのにおいがするが、これを煮切る手間をかけてしまうと、手軽さという美点がうしなわれてしまう。酒好きの人なら問題ない。アクも、もちろんとらない。

うどんを食べ終わったら、鍋のだしをつけ汁に加えて吸い物にする。豚のうまみがしっかりと出て、これがまたたまらない。

「ミニマル料理」のすすめ


池波正太郎 「そうざい料理帖」

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