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2011-03-20

奈良西ノ京

今日は奈良へいってきた。
寒いときはどこへも出かける気がせず、近所のすし屋に熱燗をのみにいくくらいの僕だったが、こうして暖かくなってくると、出かけたい場所はいくらでもあるのだ。
おまけに僕は、1年のなかで春がいちばん好きときていて、これからは桜も咲きはじめるし、しばらくは浮かれがちになってしまうな。

奈良はまずはめぼしいところをまわろうということで、去年から大阪の知人に付き合ってもらって、ちょこちょこ出かけていて、あと残っていたのは薬師寺と唐招提寺。平城京跡もついでだからいっしょに見てきた。

平城京跡はただひたすらだだっ広い、造りかけの公園のような場所に、いまは本殿である大極殿と朱雀門だけが、再建された真新しい、極彩色の姿をさらしてそびえ立っているわけなのだが、タクシーの運転手にきいたこの平城京跡の歴史と未来というのが、なんともすごい話だった。

都が京都へ移ってしまった後、残された平城京のあとには新しい建物が建てられるということもなく、寂れるままに田畑になっていたのを、明治に入ってから、名前はわすれたが民間の一個人が、「それではいけない」と自力で買い戻しをはじめ、そこに県が乗っかるかたちで発掘調査なども行われていったのだそうだ。
それから100年以上がたった今になってようやく、大極殿と朱雀門が再建されたわけだが、これからまだ、ほかの建物も建て、さらに敷地内に走っている鉄道と道路も移動させということが計画されているとのことで、それにはまたこれから、何十年という時間がかかることになる。

東京の人間の感覚からいうと、西大寺の駅からも近く、宅地として開発でもすればけっこうな儲けになるのではないかと思えるあのような広大な場所を、なんとも中途半端なかたちのままで何十年も置いておくというのはまったく考えられないことであるわけなのだが、古都に住むひとびとの時間の感覚は、それとはまったくちがうのだな。
京都のひとが「このあいだの戦争は」というとき、日本全国京都以外の場所ではそれが「太平洋戦争」を指すのにたいして、京都だけは「応仁の乱」を指すという笑い話があって、しかしたしかに京都に住んでみて、多くの寺社が応仁の乱ののちに再建されて以来、いまの威容を保ちつづけているということを見ると、それはあながち嘘ではないのかもしれないと思ったりするのだが、もしかしたら奈良の時間は、それ以上にゆったりと流れているのかもしれない。



唐招提寺と薬師寺は、やはり来てみてほんとによかった。

唐招提寺はなんといっても、「金堂」のあの姿。
「天平の甍」ということばを彷彿とさせる、すこし深めで、左右になだらかに落ちていく古風な屋根のスタイルは、なんとも美しい。

「宝蔵」や「経蔵」が高床式になっていたり、また逆に全体に低めにつくられた建物があったりするのが、日本というよりはインドネシアかどこかのような、外国の感覚を思わせるところがあり、それがまた風情がある。
やはり天平時代につくられたという仏像も、またなかなかよい。

薬師寺は建物のほうは、「東塔」を除いて新しく再建されたものなのだが、仏像が凄い。
とくに「金堂」に収められている「薬師三尊像」は、白鳳時代の昔につくられたとは思えないリアルさで、まず銅製だからピカピカと磨き上げられてまったく古びていないし、顔はどれも気品があり、中央の「薬師如来」はどっしりと安定していて、左右の「日光菩薩」と「月光菩薩」はからだをすこしくねらせた優美な姿で、「奈良時代の作品のなかでも最高傑作として古来より名高い」のだそうだが、まさにそのとおり、僕がいままでに見たすべての仏像のなかで一番よかった。



今回唐招提寺金堂の仏像3体と、薬師寺金堂の3体とには、100円ずつお賽銭をあげ、東北太平洋沖地震の被災者の冥福と無事を祈った。
おなじ場所に「募金箱」もあり、そちらに入れたお金は被災者に届くが、お賽銭は寺のものになる。どちらに入れたらいいかすこし考えたが、募金としてはあまりに少額だということはあるけれど、お賽銭にして祈りを捧げたほうが、被災者の幸せにつながるような気が、今日の僕にはした。
何よりこれらの仏像はほんとによく出来ていて、目を閉じ手を合わせて祈りを捧げると、瞼にうかぶ仏像の姿が、いかにもほんとに願いを聞き届けてくれそうな感じがするのだ。
これがたんに、被災して今まさに苦しんでいるひとがいるのに、自分は楽しく奈良を見物しているということにたいする罪悪感を払拭するための、自己満足に過ぎないという見方も、今の時代にはふつうにあり得ると思うのだが、人間はおそらく、いわゆる「宗教」などというものが生まれる遙か以前から、こうやって祈りを捧げてきたのであり、またこれらの仏像にたいしても、ひとびとは千年以上にわたって手を合わせてきたのであって、もちろん僕もさすがに、それですべてが解決されるとは思わないが、前近代的であると哂うこともできないということを、今回おもった。