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2011-12-16

ハマグリの味を殺さないよう気をつける。
「ハマグリの鍋」

その日の晩飯に、何をつくろうかを考えることこそ、料理のたのしみというものだろう。

誰だって忙しいから、物事はできれば、手際よく済ませてしまいたいところだが、何をつくるかが決まらなければ、その先へ進めないのだから、こればかりは手を抜くわけにはいかない。

まずやはり、その日自分が、何を食べたいのかを、自分の胸に手をあて、考えることとなる。魚屋の若大将も、その日に仕入れる魚を決める際には、まず自分がどれを食べたいかを考えてみると言っていた。

「食べる」ことは、生物としての人間の、最も基本的な欲求だ。何が食べたいかは、その生物としての自分が、理性を超えたところで感得するものだろう。自分が食べたいものを、自分の内に探すうち、思いもかけない食べ物が浮かび上がってくることは、しばしばある。

冷蔵庫やお店にどんな材料があるのかも、つくる料理を決める際には、もちろん考慮にいれる必要がある。冷蔵庫に、今日食べてしまわなければいけないものがあるのなら、それをどう料理するのかを、考えなくてはいけないことになる。

冷蔵庫に入っているものを、今日食べたいと思えないことも多いが、料理法を考えてみると、食べたくなかったものが、急に食べたくなることもある。

店へいき、絶対売っていると思ったものが、なかったときの挫折感は大きい。しかし気持ちを切り替え、売り場を虚心に眺めているうちに、だいたいそういうときに限って、あらかじめ思っていたものより、もっといいものを見つけるものだ。



とくに鍋のばあいは、作り方の自由度が大きいから、料理の仕方を考えるのはたのしい。

「寄せ鍋」といったって、決まっているのは「しょうゆ味のだしで煮る」ことだけだから、何を入れるのかを、一から考える必要がある。鍋のばあい、材料として何を使うかで、内容が9割方決まってしまうところがあるから、材料どうしの相性や組み合わせは、よくよく吟味の必要がある。

昨日はアサリの鍋にしようと決めて、スーパーへ行ってみたところ、アサリがなかった。しかしハマグリがあったから、それでべつに問題ない。ハマグリは中国産なら、10個以上入ったのが、200円ほどで売られている。

貝のだしの味は、淡いから、下手なものと合わせると、かき消されてしまうことになる。長ネギを入れようか、かなり迷ったのだが、長ネギはハマグリを食ってしまうと結論したので却下。やはりハマグリの邪魔をしないのは、おとなしい白菜だ。あとは豆腐と三葉。しめじを入れるかどうかも、かなり悩んだが、これも却下した。



ハマグリだけではちょっと足りないから、イワシも買って、塩焼きにした。ポン酢をかけた大根おろしを添える。

塩焼きは、温かいうちはうまいが、冷めると急にまずくなるので、まずこれだけ先に食べてしまい、そのあと鍋にとりかかる。



鍋も、だしに味をつけるのか、水炊きにするかを選ばないといけないが、昨日は水炊き。昆布だしに、酒をたっぷりと注ぎ込む。

ハマグリを、殻ごと入れるのか、あらかじめ煮て殻をひらかせ、むき身を使うのかも、選択の余地がある。貝は口をひらくと、けっこうな量のアクを出すので、鍋の最中にアクをいちいち取るのはめんどうだ。しかし殻つきの貝がひらいた様は、日本人にとっては風情がある。

塩水につけ砂出しすると、いかにもくつろいだ様子で、細長い口や、ベロのような足を殻の外にだし、気持ちよさそうにしているハマグリだが、煮立った鍋に入れると、釜茹での刑となり、パカッと口をあけ死んでしまう。その様子を眺め、よろこぶのは、自分が釜茹でされることを考えれば、なんとも残酷なようでもあるが、食べるとはそういうことなのだから仕方がない。

ハマグリは、口をあけたらすぐに取り出す。そうしないと、たとえ鍋の火を止めたとしても、たちまちかたく小さくなってしまう。

ポン酢で食べるが、ハマグリを食べるには、あまり余分な薬味は入れないほうがよい。



ハマグリの鍋をやったら、やはりクライマックスは雑炊だ。雑炊は、その日にやるのがもちろんいいが、酒をのみ、さらに雑炊だとあまりに満腹になるから、そういうばあいは翌日にまわす。

塩と、ほんのちょっぴりのしょうゆだけで、ハマグリの味を殺さぬよう、うすく味をつける。卵なども、味が濃すぎるから入れない。