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2012-01-31

人を信用する方法。
「残り野菜の鶏鍋」


この年になると、世の中で、色んな人間を見てくることになる。

若い頃には、面白そうなことがあれば、すぐに飛び付くことができるけれども、信用したと思った人が、実は後で、信用ならぬ人だったと分かるというようなことを、何度か繰り返すうちに、人間というものは、そう簡単に信用してはいけないものだと学ぶようになる。

しかしもちろん、ある程度は人を信用しないと、世の中でやっていくことはできないから、なんとか折り合いをつけていくのだけれど、結局のところ、生きていくとは、闘うことだと、深く認識することになるのだろう。



闘うことは、もちろん必要なことだけれど、それでは闘いは、何を生み出すのか。

勝者には安穏とした生活が、約束されてはいるだろうが、しかしそれも、いずれは終わりを告げる。

おごれる者は、久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。

平安時代の人たちの諦念は、現代にも変わらず、人の心をうつ響きがある。



闘いは、避けられないことだけれど、しかし闘いだけが世の中だとは、思いたくない。

それはべつに、今に始まったことでなく、人間が生まれてこの方、考え続けてきたことだろう。

一時の勝利ではなく、永続する価値を求め、人間はさまざまな文化を生み出してきた。



人間は、勝たなければ生きていけないのは、確かなことだ。

しかしほんとうの問題は、勝つことにあるのではない。

勝つことにより、何を成し遂げようとするのかが、問われなければならない。

勝つこと自体が目的であるのなら、それは何ともつまらないことだ。



ただこの目的ほど、他人から見えにくいものはない。

目的など、いかようにでも、口にすることができる。

崇高な目的が、勝利をおさめた途端に取り下げられるのを、人は何度、目にしてきたことか。

人がただ口にする、その目的を、そのまま鵜呑みにすることは、ただの世間知らずというものだろう。



人が口にする言葉を、信用できるかどうか、判定できるものは、ただ、その人の行動にしかない。

自分が口にする言葉を、その人自身が信じているかどうかは、その人が口にする言葉通りに、その人が行動するのかどうかを見ればよい。

勝つために、その人が口にしている言葉と、違うことをするのなら、その人は、自分の言葉を信じていない。

自分の言葉を信じていない人の、口にする言葉を信じてはいけないことは、言うまでもないことだ。





昨日は何を食べようか、考え始め、ふと冷蔵庫をのぞいてみた。

そこに見つけたものは、大根、ニンジン、シイタケ、ゴボウ。

そして戸棚には、ジャガイモ、玉ねぎ。

これだけあれば、メニューは決まりだ。

鶏肉といっしょに煮込み、醤油味の鍋にする。



昆布と削り節でだしを取り、酒とみりん、それに醤油で味付けする。

うすくち醤油を使うのは、ただ汁の色が、黒くならないようにするためだ。



味付けした汁に、材料をすべて叩き込む。

ゴボウとジャガイモは、切ったらしばらく水に浸してから入れる。



鍋を煮ながら、酒を飲む。

つまみはスグキと、豆腐よう。



15分ほど、アクを取りながら煮れば、出来あがり。

七味と青ネギをふって食う。



餅を入れ、雑煮にするのもいい。